人は、どんな環境の中からでも
「自分自身の人生を生きることが出来る」いうことを演奏をもって伝えて生きたい
432Hzとの出会い
「学生時代から、ロマン派の演奏家のパッションを表現したいと思うと、返ってくる音が強すぎて違和感があったの。」
そんな、KUNIKOが432Hzと出会ったきっかけは、彼女の音楽の故郷ハンガリーのブダペスト。
2017年の暮れトレーナー松澤亜希子に、あるハンガリー人ピアニストの演奏を見せた時に、なぜこのような演奏ができるのか?興味を示した松澤が驚愕したのが、6歳までピアノには触らないというその特殊な音楽教育だった。
いてもたってもいられなくなった松澤は、その音楽教育の謎を探るべく、年明け早々にKUNIKOとハンガリーへ飛んだ。
二人は、ハンガリーの国立音楽学校や小学校、障害者施設を回り音楽教育現場をみせてもらい、それぞれのカリスマと呼ばれる各先生方から、十分すぎるほど丁寧なレクチャーを受け、驚愕であり感動でありそれはそれは濃厚な時間を過ごしました。
たくさんのヒントと気づき、美しいハンガリーの景色と想像以上に深かった音楽教育と音楽を使った国策。
しかしそんな学び以上に、二人の心を掴んだのはピアノ演奏ではなく
美しく歌う子供たちの歌声でした。
この心地よい歌声は、なんだろう?
KUNIKOは、何が違うのか?考えた時に、すぐにピッチが違うのかもしれないと気が付きました。
ハンガリーでの歌のピッチが432Hzであるか否かは、わからないものの
人が、無条件に心地よいと感じるピッチを模索したところA=432Hzと出会いました。
取り憑かれたように、調べていくと歴史的背景にそのピッチがあることがわかりました。
正確には、430付近です。かつての時代には、正確なチューナーや音叉があったとは思えませんが、
そのような文献や音楽家たちの記録というものがみつかってきました。
バロック時代のA=415HzではなくA=432Hzというところがポイント
「半音の半分」これがとてもしっくりきました。
また、科学的な分野では、宇宙の周期や光の周波数と合致する数値ということも気になりました。
ところが、この話をしているだけで頼んでもいないのに、調律師たちからピッチを下げることへの反対のご丁寧なメールやお話を頂きました。ご苦労なことです。
そんな風になってくると逆に余計に、432Hzのピアノの音を聴いてみたくなってくるのです。
2017年から、ご縁を頂きピアノを運んでいただくというバックアップを頂いていたタカギクラブィア株式会社のピアノプロデューサーの髙木裕社長に、思い切ってこの馬鹿げた話をしたところ
「やったことがあるので、出来るよ!」
と、快諾してくださり、いよいよ2018年12月に自身のピアノをA=432Hzに調整を行う作業がスタートします。調律だけでなく十分な調整を行ってもらい続けました。
髙木裕社長といえば、「ホロヴィッツ・ピアノの秘密」「今のピアノでショパンは弾けない」「スタイウェイ戦争」などの著者であり、スタインウエイの本社である米国スタインウェイ&サンズ社の調律師が太刀打ちできない場合に、招かれるほどの敏腕の調律師です。
(そんな高木社長とのご縁もまた、不思議な奇跡でしたが、これはまたいつか)
回を重ねる毎に、どんどんと音は想像以上のものになっていきましたが、
2019年の冬、理想の音の実現に向けてピアノ自体の限界を感じられた高木社長が、一回り大きめのピアノで0から432Hz仕様に作り直したものを製作してくださる提案をくださいました。
それから2020年春、A=432Hz仕様のアコースティックピアノが出来上がります。
そして、これから!という時に新型コロナの蔓延により軒並みのコンサートが中止。
幸先の見えない雲の中でもKUNIKOは、その光を見失うことはありませんでした。
実は、このコロナによる自粛期間を利用し、普段ご多忙な高木社長がとスタッフの皆さんが
A=432Hz仕様コンサートグランドピアノを製作してくださったのです。
ただ単に、調律を432Hzにしただけでは、このような音色を生み出すことはできません。
世界の巨匠たちのピアノを調律してきたピアノの設計士を師匠に持つピアノプロデューサーだからこそこのピアノを生み出すことが出来ました。
著 髙木裕氏
そして早速レコーディングとプロモーションビデオ撮影を行い
いよいよ、この432Hzコンサートグランドモダンピアノの音が日本から世界に発信されます
Another side story
しかし、KUNIKOがここまでくる道のりは、彼女が「どんな環境からでも自分自身の人生を生きることができるということを演奏を通して伝えて生きたい」というように複雑でした。
外からみると音大卒業、毎年ハンガリーに短期留学をしていて
演奏家としてのデビューは遅いものの2009年に東京オペラシティでリサイタルデビュー。「ムジカノーヴァ誌上にて「スケールの大きな音楽を持ったピアニスト」と好評を得て、ソロだけでなくアンサンブルピアニストとしても活動を開始。裕福そうにみえた家庭環境。
しかし、幼少期からストレスを抱え育った彼女にとっては、
ピアノとの時間が、唯一自分を感じられる安らげる瞬間だったと言います。
「小さな頃から、生きることに必死で、いつも怯えていて毎日が苦しかった。今思うと、ピアノを弾くことで、なんとかバランスを取っていたのだと思う。音楽があったから生きてこれたと思う。」と語ります。
無理を続ければ、いつかその歪みで大きく人生は崩れます
小さな頃から耐え続けた心と身体は、結婚後さらに悪化、不妊治療が引き金となり身体の限界まできていました。
「もう演奏活動は、これ以上はできないのかもしれない」。と悩む日々。
椅子に座っていられない程のめまいや耳の不調、目のかすみや腰痛に倦怠感。
それに加え、当時起きた事件。今までで一番大きなステージでの失敗。
これを機にステージに立つことへの恐怖もあり諦めかけていた孤独の中で、中学時代の後輩のブログに出会います。
当時、ゴルフコーチでありメンタルフィジカルトレーナーとして活躍していた松澤亜希子のブログです。
ロジカルでシンプルに描かれているカラダと脳のパフォーマンスの関係性を読み進めていくと、希望の光が見え、友人を通じて連絡を取ったのが、2015年秋、現在に至るきっかけです。
松澤亜希子と作った情操教育と体育のアカデミーのページはこちら
松澤のトレーニングを希望するも断られ続けた。
実際には、何度も松澤からトレーニングを受けることを断られましたが、もうチャンスがないと思い食いさがりました。
必死の思いでトレーニングをスタートし、翌春に突如届いたスペインウィゴ国際コンクールへの出場を果たします。(KUNIKOが、あの最大の失敗と語ったコンサートを後に、松澤と分析すると人生最大のチャンスであったことがわかりました。)
松澤が断り続けたその理由は、のちにわかってくるのですが、この話は長くなるのでいつか本でも書きましょう。
自分の人生を歩き始めようと決めた途端観えていた世界が変わってきた。
これまで自分を騙しながら耐えていた分だけ、KUNIKOを襲った絶望。
周囲の困惑、裏切り、妨害、妬み嫉み、痛み…。
まるで、それはパンドラが箱を開けてしまった話のようでした。
ピアノも寝る場所も服も車も食器も下着も友人も家族も全てを失っても見失わなかったのは、自分の決めた道にかすかにさしていた一筋の光
2017年からの数年を振り返るとKUNIKOはいつも「とにかく必死だった。」といいます。
話も長くなるので、興味のある方は、ぜひOn-okuri-Projectのブログやホームページも覗いてみてください。
演奏活動だけでなく、子供たちとの日々、平和教育活動や文化芸術教育活動、ボランティア活動、自然の中での暮らしや、レッスン遠征やボディワークのプログラム作りの日々などちょっと普通ではない人間味に溢れるピアニストの足跡が綴られています。
また、ピアノも寝る場所のなかったPianist KUNIKOが、現在の自宅スタジオを黒山三滝という場所に構え専用の432Hzモダンピアノを手にするまでの様々な奇跡もご覧いただけます。
ブログ:https://ameblo.jp/onokuriproject/On-okuri-pjt:https://on-okuri-pjt.com/
432Hz
それは、光の速度を求める数値と同じ数432 x 432マイル/秒
そして宇宙の周期の数値と合致する不思議な周波数であり、音楽の歴史に残されている真の音楽への手がかり。
これから先、Pianist KUNIKOが織りなしていく432Hzの音の世界
音楽の本質であるといわれるハルモニーが広がる世界を共に体験して生きませんか?